"Lethe" - film, 29min, 2024 ___Text: EN
本作は映画的形式を採用した映像作品である. 簡易的なプロットは事前に作成していたが,演出,撮影,使用楽曲など即興的で偶然的な要素が強い.最終的な形が分からないまま,大まかな要素だけを取り決め,制作した. なぜこのような方法で本作を制作したかというと,あることをきっかけに私は,偶然というものはないという考えに思い至ったからである.人間には自由意志があり,人生を変えていくことができる.しかし,それと同時に避けることができないものもある.日常のささいなことから人生を大きく変えてしまうようなアクシデントも含まれるが,誰しもが最も受け入れなければならない偶然は,生まれてくる時代,場所,家族,身体のような所与の偶有性である.ちょうど,映画における役柄,脚本のように.自分自身という被投的生とそれに付帯するもの,ここに自由意志は関与できない.それと同じく人生における種々の不条理も自由意志とは無関係に降りかかってくる.これらの避けられない事象は受け入れることでしか,自分自身を生きることができない.不条理を必然として受け入れることで,実存的存在として生を肯定的に捉え,真の自由意志を発動することができるのではないだろうか.また,その不条理な人生のプロットを受け入れることで,自動的に死をも含めた存在が立ち現れてくる. 九鬼周造は被投企的生における偶有性を「定言的偶然」,絶対的不条理を「離接的偶然」と名付けている.偶然性と必然性は一方が成立すれば,もう一方は成立しない.言い換えれば,必然が存在する限り,偶然も存在する.偶然は必然の裏返しでしかなく同質である.これは根源的に同じものでありヤヌス的な現れにすぎない.これはちょうど,生と死にも同じことが言える.
“Mound/Vessel” 中之条ビエンナーレ2021 オンラインコンテンツ作品
“Time…“ 2020 in Athens photo by Christoph Ziegler
オリオンの右腕によって光に照らされる、”あなたの中の無数の私”。 チャリオットが止まる時、未だ見ぬ時がこちらを見返す。
Orion’s right arm illuminates countless “you that are in others”, with harsh light. Pausing the chariot, the never-seen time watches us.
“Metempsychosis“ - Trailer, Film 14min, 2019
For the exhibition “Melancholia“, 2019.7.6-7.15
a video about drawing work "End Game", 2018
Traditional Ceremony at Kerambitan in Bali

