神聖幾何学と天使
神聖幾何学とは,“幾何学は宇宙の真理を表す”とする古代の思想と,神秘主義思想が融合した概念である.古代のプラトン立体(5つの正多面体)や,ヴェシカパイシスなどの宗教的象徴記号などの概念が融合・発展し,現代では神聖幾何学は高次立体として考えられている.現代数学や物理学の世界においても高次元幾何学は,量子コンピューティングや宇宙空間の構造を考える上で重要な概念とされている[1][2].幾何学は事物と事物の必然的関係性を表しており,幾何学が完璧な合理性と調和を持って存在すること自体がこの宇宙の成立の鍵を握っているとされている.これは古代ギリシアにおいてもっとも重要な真理(ἀλήθεια, Alētheia)と見做されていた.
ここで,江戸時代前期に奥会津に遠郷蟄居された出羽の暦学者・安藤有益という人物を紹介したい.有益は測量や暦,天文学に関する専門家として知られているが,算術にも長け,魔法陣(magic square)を研究していたことでも知られている.魔法陣とは, 個の正方形の方陣に数字を配置し,縦・横・対角線のすべての和が等しく,1から までの数字を1つずつ過不足なく使用したもののことである.魔法陣は,特に中国において紀元前より研究され,八卦や風水と結びつき,宇宙観を示すものとして考えられていた.西洋においても魔法や神話と結びつき,芸術作品の中にも取り入れられている.アルブレヒト・デューラーの「メランコリアⅠ」には,メランコリーの天使の頭上に魔法陣が描かれていることは示唆的である.
数による宇宙の秘密(レーテ)を解き明かそうとした人物がかつて西会津の極入村に存在していたことは偶然ではない.秘密を解き明かそうとする運動とは,忘却,隠匿(レーテ)(Λήθη, Lēthē)から真理(アレーティア)への移行である.有益は,二間梁六間の屋敷から真理(アレーティア)を得ようとした.
天使とはキリスト教的な天使という限定した概念ではなく,それ自体直接知覚することができず, 告知する(アパンゲレイン)・使者(アンゲロス)である.「告知する(アパンゲレイン)apangellein」は「使者(アンゲロス)angellos」の機能を表現する動詞である.[4] このことから,神聖幾何学もある種の天使と解釈することが可能である.神聖幾何学は高次元幾何学のため,直接知覚することはできず,事物と事物の関係性を言語ではない方法で示す・告知するものである.
「告知する使者」について,ジョルジョ・アガンベンのバートルビー論を参照する.
アガンベンは,あるペルシアの新プラトン主義者の「大天使ガブリエルの闇の翼」という比喩を紹介している.それによると,ガブリエルには二つの翼があり,右の翼は純然たる光であり,左の翼には暗い痕がついているとされている.右の翼が「存在する=存在しないことができない」という現勢力に関わり,左の翼は「存在しないことができる」という潜勢力にかかわっている.“存在しないことができない現勢力”という右の翼は必然性を示しており,“存在しないことができる潜勢力”とは,存在と非存在,可能と不可能のあいだであり絶対的偶然性である.
存在しない潜勢力をもつ天使とは,ヴァルター・ベンヤミンの歴史の天使も同様である.これらの天使は,かつて存在したもの,存在しえたかもしれないが存在しなかったものたちを眼差すものたちであり,彼らの翼が羽ばたくごとに,存在しないものたちと現実の世界を入れ替えていく.天使たちの告知を受けとることとは,この羽ばたきに耳を澄ますことである.
この羽ばたきに耳を澄ます限り,存在しているものたちは偶然(存在しないことができるもの)であると同時に必然(存在しないことができないもの)でもあり,両者の区別はなくなる.私たちが今生きているこの瞬間は,光と闇の明滅であり,その瞬間ごとに脱創造されつづけ,真理(アレーティア)と忘却(レーテ)は入れ替え可能となる.
幾何学とは,事物と事物の関係性を表すと前述した.神聖幾何学が私たちに告知するものとは,この真理の二重性,光と闇は矛盾するのではなく同一であること,ではないか.
以上は,本展示に際する企画者のコメントである.
三野綾子